メールマガジン
分権時代の自治体職員
第134回2016.05.25
インタビュー:砥部町会計課 課長補佐 田中 弘樹さん(上)
役所の予算書や決算書は一般の住民にはほとんど理解不可能だ。自治体では住民にわかりやすくするために円グラフや図表を入れるのはもちろんのこと、住民一人当たりで考えた場合の絵を入れたり、家計にたとえた場合のことを書いたりして住民に理解してもらうための工夫を色々行ってきている。
ただ、現状の自治体会計が単式簿記のため、施設の更新問題をはじめ将来の課題がいつどのように発生するのか、現状はどうなのかを客観的に見ることは難しい。フローとストックを両方表す仕組みが必要だ。
公会計改革はそれを推進するものだが、まだまだ一般住民の認知を得ていない。それを得るための努力をしている先進自治体の一つが愛媛県砥部町である。

田中 弘樹氏
稲継 今日は、愛媛県砥部町にお伺いしまして、会計課の田中弘樹さんに、お話をお伺いします。どうぞよろしくお願いいたします。
田中 よろしくお願いいたします。
稲継 私はこのまちに初めて訪れさせていただいたのですけども、簡単に砥部町の紹介をしていただけますでしょうか。
田中 砥部町は、愛媛県の中央に位置し、香り高い文化と歴史が息づくまちです。県都松山市のベッドタウンとして発展し、西日本屈指の規模を誇る県立「とべ動物園」や遊びと創造のシンボル「えひめこどもの城」、県の総合運動公園などがあり、県の中心的存在となっています。
北部は、江戸時代以降、焼き物の町として名をなしました。240余年の歴史を持つ国の伝統的工芸品「砥部焼」(県の無形文化財)の産地で、100余りの窯元が焼き物の里の風情を出しています。また、温暖な気候とあいまって、おいしいみかんを育てています。
南部は豊かな森林資源や自然景観が美しい山間地域です。中央を走る玉谷川の流れがつくり出した仙波渓谷や、清らかな水の源流、伊予の西石鎚とも呼ばれる権現山などの景勝地があり、初夏には川沿いで天然の源氏ホタルが乱舞し、幻想的な世界を楽しむことができます。また、自然条件を活かした高原野菜やじねんじょの栽培が盛んです。
予算規模を見ますと一般会計ベースで70億から80億というところです。
稲継 先ほど、レンタカーでうろちょろ町歩きをしていたのですが、ここ(町役場)から5分ぐらい走ると、五本松とかに至るんですよね。伝統産業会館があったり。あの辺りでは各家で砥部焼を焼いておられるのですか?
田中 ちょうど五本松というところが、砥部焼の窯元さんがたくさん集まっているところで、窯元さん自体がお店を出されて、そこで来ていただける人に対してはいろいろサービスをしたりしています。
稲継 窯元というのはそこに窯があって、そこで焼いておられるということですか?
田中 はい、磁器をですね。
稲継 作って焼いて、というふうに一貫したことを、それぞれの家で?
田中 そうですね。
稲継 そういう家が、あそこに点在していてたくさんあったのですけど、皆さん、元からあそこにおられたのですか? それともあとから?
田中 窯(かま)の生業(なりわい)と書いて、窯業団地(ようぎょうだんち)というのがありまして、そういうところに入ってこられている方もいらっしゃいますし、元々ずっとやってこられている方もたくさんいらっしゃいます。
稲継 この砥部の焼き物というのはいつごろからあるのですかね。昭和とか、明治とか。
田中 約240年前です。
稲継 江戸時代。
田中 はい。江戸時代からです。
稲継 販売している砥部焼陶芸館も伺わせてもらいました。白地に薄い青が混ざっているようなものがベースになっていて、あとは模様がそれぞれ窯元ごとに特徴がある絵付けがしてあって。私もちょっと好きそうなやつがいくつかあってお手頃価格だったのでいくつか買いました。聞くとこによるととても頑丈らしいですね。なかなか割れないというか。
田中 分厚いので、自宅にもいくつかあるのですが、まあ割れずに長い間持ちます。
稲継 長い間持つと。
田中 壊れないですね。冷たくしておくと結構長い間冷たいし、温かくしておくと、結構長い間温かい。香川県の高松あたりで、うどんを食べにお店に入ると砥部焼の器で出たりしますね。
稲継 ああ、そうですか。あったかさが冷めないのですね。
田中 そうです。
稲継 なるほど、とてもすてきな器ですね。
さて、田中さんは、もともと砥部町のご出身ですか?
田中 はい、そうです。
稲継 ここに生まれ育ち、そして、旧合併前の、旧砥部町役場に入庁された。これはいつごろのことですか?
田中 平成4年ですね。
稲継 そもそも砥部町役場に入られた動機はどういうことなんでしょうか? インタビューすると、「たまたま入りました」という人が非常に多いのですけど。
田中 私もすごく何かやりたいことがあってということではなかったですね。

稲継 そうですか。どういう部署に最初は配属になったのでしょうか?
田中 最初は税務課です。通常3年から5年ぐらいで大体異動になっていくのですけど、税務課には7年間という長い間務めたということで、固定資産税以外はほぼその間に経験できました。税を知ることは今でも貴重な経験だったと思います。
稲継 そうですか。まず徴収する方の経験はほぼ全部やられたということですね。7年は結構長いですよね。それで、7年後に異動されたと。
田中 次に替わったところが会計。会計では、特に書類がたくさん回ってきますので、間違いがないかチェックしていくのが一番でした。それとその当時は財務会計システムが構築されてなくて手作業だったので。
稲継 手作業で処理していた時期ですよね。
田中 当時は会計管理者ではなくて、収入役というような時代でありましたので。収入役さんと話をしながら、システムが必要であろう、という話をずっとしておりました。そして、ちょうど会計から異動になるぐらいの時期に、財務会計システムの導入の目処がたったというところです。
稲継 当時はまだまだシステムに対する信頼が一般職員にとっては低かったと思いますが、そういう人たちを説得していくのは結構大変な作業だったと思います。どうでした?
田中 そうですね。ただ、システム化は必要だろうという認識はあったと思います。
稲継 各課で入力するようなシステムになっているんですか?
田中 そうですね。
稲継 その最初に入力してもらう手ほどきだとか、研修だとか、なかなか大変ですね。
田中 そうですね。大変でした。
稲継 容易に想像できます。それで、ここにも7年?
田中 会計も7年関わりました。
稲継 長いですね。税も7年、会計も7年、14年たちました。次は?
田中 次が、介護福祉課です。保育所とか、こういうところの担当でした。
稲継 そうなんですか。全然違う部署ですね。
田中 そうですね。
稲継 替わられたときに、どう感じられましたか?

砥部町役場
田中 特にどうこういう感じではなかったのですけど、保育所の所長さんとかが相手になってくるので、会計の話もやっぱり知ってもらわないと事務が進まなかったので、所長の勉強会も開いて、会計的な話はずいぶんとした記憶があります。
稲継 保育所長さんにとって会計の話って、あまり普段気にかけたこともない話だと思いますが。
田中 そうですね。大きい自治体なんかですと保育所ごとに事務員さんがいるとか、保育所全体で事務員さんがいるのかなと思うのですが、本町の場合は所長が全部処理をするということで、とにかくある程度のところまでは知っておいてもらわないと、なかなか会計事務が進みませんでした。
稲継 この介護福祉課に異動になられて、ここにはどれくらいおられたのですか?
田中 ここは1年半です。
稲継 そうですか。次に移られたところは?
田中 次は、監理財政課というところです。今の企画財政課ですね。
稲継 財政ですか。予算組みをするところですね。
田中 はい、そうですね。
稲継 実際に田中さんもそういう担当だったんですか?
田中 監理財政課に入ってすぐは、資産管理とか入札・契約ですね。こちらを担当していました。
稲継 なるほど。その頃は入庁されて、15年、16年ぐらいですかね。その財政の方で、資産管理とか契約とかを担当されて何か感じられたことはありましたでしょうか。
田中 入札、契約についてはサポート的な役割でしたが、この時期、入札や契約の改革が進んでいてホームページを直していくだけでも大変でした。ただ、それと同時に公会計の方の担当にもなりましたので、こちらのインパクトが強かったですね。
稲継 これ、平成何年ぐらいですか?
田中 こちらが、平成18年ですね。このとき、公会計の担当になったのですが、資料が全く無いのです。
稲継 といいますと?
田中 まず、決算統計という統計資料集が各自治体にありまして、当時その統計資料集のデータを元に財務諸表を作成していく予定だったのですが、その統計資料集の古いものが残っていませんでした。統計資料集の何表、何行、何列の数字は、「100万円」というのは調べがつくんですけど、それがその当時何の数字だったか分からない。ということで、近隣の自治体さんとかに「昭和四十何年の統計資料集の何表、何行、何列の数字は何だったでしょうか?」とか聞いて回るところから始まりましたね。のちに、過去分の「何表、何行、何列の数字は何です」という資料をいただいたので、それでやっと進むようにはなったんですけど。
稲継 数字はあるけど・・・
田中 何の数字か分からない。
稲継 ようやく分かるようになったと。
田中 そうですね。
稲継 まず、そこから、スタートしたわけですね。

田中 はい。結果的に異動初年度にその数字が分かったので旧総務省方式という方式で財務諸表を作成しました。また、翌年度には、総務省から「基準モデル」と「総務省方式改訂モデル(以下、改訂モデル)」という2つのモデルが示され、本町では改訂モデルを採用することになりました。
稲継 公会計を担当しておられる方には、今の話は全部通じた話ですが、全然違う分野の自治体の職員の方には(このメルマガはそういう方がたくさんいらっしゃいますが、)、公会計が動いているというのは何となく分かるけれども、いったい何がどうなっているのか、「改訂モデル」だとか、「東京都モデル」とか、何がどうなっているのか分からない方もたくさんいらっしゃると思うので、若干解説をお願いできればなと思います。
田中 はい。毎年度財政部門で作成されている「決算統計」という統計資料集があります。こちらの数字を使って、これを組み替える形で、財務諸表を作成するモデルを改訂モデルと言います。決算統計からつくるということで費用があまりかからないモデルですね。
もう一つ、基準モデルというのがありまして、こちらは資産台帳の整備をしたり、仕訳をしたりといった発生主義的な発想のものですね。そのため、ある程度システム改修が必要になるということで、費用もある程度かかりますね。このほか、独自のモデルを採用する場合もありました。東京都さんなどは「東京都方式」と呼ばれるモデルですね。
稲継 総務省の方からの、公会計を各自治体はちゃんとやってくださいよ、というムードがここ15年ぐらい進んだと思うのですが、その中で各自治体の置かれていた状況というのはどのようなものだったのでしょうか?
砥部町さんが非常に積極的に乗っていった自治体の一つだと思うのですが、他方で、よっぽどお尻を叩かれたり、せっつかれたりしないとなかなか前に進まない自治体があって、そういった周りの自治体や他の県の自治体と接触される機会もあったかと思うのですが、何を感じられましたか?
田中 本来、砥部町が採用した改訂モデルは、決算統計という統計資料集から作るものではあるのですが、段階的に資産データもちゃんとつくっていきましょう、というものだったのです。しかし、それがいつしか消えてしまって、決算統計からつくるのが改訂モデルみたいな雰囲気になってしまっています。
あと基準モデルでも、資産台帳を整備し、仕訳データなどを入れて、財務諸表を作成していくのですが、多くの自治体さんで、数字をつくってちょっと説明を加えて、それを公表して終わってしまっているというような状況になっていたのではないかなと感じます。そして、来年度にかけて新しい統一基準が採用されますが、今度は作って公表したものをどう活用するか、ここにかなり重点が置かれています。やはり、活用することろまではいかないと、という感じはずっと持っていました。
稲継 平成18年から19年ごろに、まず改訂モデルで作成して、そして、多くの自治体で、なおざりになっていったという資産台帳の方も作っていかれたわけですね。
田中 そうですね、これもちょうど平成18年に私が監理財政課に来た時に、市販のデータベースソフトでアクセスというものがあるんですけども。

稲継 オフィスの中に入っているものですね。
田中 そうですね。私の手づくりになるのですけど、このアクセスで土地台帳、建物台帳、備品台帳を作りました。
こういうところが財務諸表をつくるデータです。例えばそれだけではなくて、貸し付けの情報とかも。
稲継 これはどういうふうに、見るんですかね。
田中 こちらが名称ですね。
稲継 「電気室」、「資材倉庫」、所在地はここにありますと。

田中 ここが決算書の財産に関する調書。
稲継 128m2ありますと。それを、減価償却をしていくと、みたいな感じですね。
田中 はい。
稲継 なるほど。取得価格が2,200万とか。
田中 あと、次期更新に向けたデータ。だいたいランニングコストがこれぐらいだから、最終的に50年たつと50年間での総コスト (ライフサイクルコスト)は、これくらいになってくるだろうと。あと、統廃合が可能かどうか、近隣の自治体や民間で競合するような施設はないか、入館者は午前中多いのか、午後多いのか、どんな年齢層が多いのか。こういうものをデータ化しておくと、例えば、将来統廃合するときに便利ですね。
稲継 これも田中さんが作られた?
田中 はい。
稲継 もともと、そういう専門の学校を出ているのですか?
田中 いえ、出てないです。市販のデータベースソフト「アクセス」を使っていますが、プログラム言語は全く知りません。このボタンを押したらこうなるというプログラムを知っている人に聞いたり、今あるプログラムの中からコピーしてきたりしました。ファイルの名前だけは日本語なので、そこを変えるだけで、プログラムの意味は分からないまま、全部作りました。
稲継 えっ!(しばらく絶句)それはすごい!
田中 VBA(Visual Basic for Applications)は、一切知らないです。
稲継 そうですか。これは業者に頼んだら、何千万単位の仕事ですよね。
田中 一切言語を知らずに、日本語で書いてあるところだけ直して作ったというと、ときどきびっくりされることがあります。
稲継 それはまた、すごいな。そうですか。
田中 このあたりを全部入力していくと、さまざまな集計がいっぺんにできます。
稲継 これをいつ作られた? 平成18年に異動されてから?
田中 はい、平成18年に人事異動があり、この年にある程度ベースを作って、あとちょこちょこ修正、加筆、追加みたいなのはしていったのですけど、ほぼベースはその年に作っています。
各自治体には公有財産台帳という紙ベースで財産の情報を記録したものがあるのですが、それがうちの場合、「杜撰だろう、それを積み上げたのではたぶん実態とかい離するだろう」ということで、まず、固定資産税担当にお願いして、「砥部町名義の土地データを全部見せてくれ」と言いました。そのデータを私の方で全部アクセス資産台帳に取り込んでいます。
それから建物については、共済の保険に大体入っていましたので、その情報から私の方で全て取り込んでいます。ここまでは、物件名や住所などの入力のみで、担当課の入力は行っていません。
私の方で全部入力をすませてしまったあと、自分の部署の資産だなと思うものには、部署の名前をどんどん登録していってもらいました。その結果、どこの課にも引き取られなかった物件が「普通財産」ということで、資産管理担当の所で管理する資産としました。ただし、そのあと、普通財産になったもので、さらに財政の方で調査を進めて行くと、「これ、あなたの課の資産じゃないの?」というと、「うちのです」というのが結構出てきまして、担当課自身も自分のところの資産ということに気づいていないというケースもありました。
備品については、私の方では分からなかったので担当課に、「過去10年程度支出伝票からデータを拾ってください」とお願いしています。
稲継 そうですか。これは網羅的に町が持っているすべての財産・資産を洗いざらい全部?
田中 そうですね、このようにして拾い上げました。
稲継 それまでは、紙ベースだから、実は分かっているようで、全然分かってない部分もたくさんあったけれども、このシステムを作られたことによって、できるようになったということですか。
田中 はい。そうですね。
稲継 そうですか。これはすごいシステムを初年度に作られたと思うのですけども、ほかの人の反応はどうでしたか。僕はこの凄さがよく分かるのですけども、庁内のほかの人はどうでした?
田中 資産情報を入力?面倒くさいなぁくらいのイメージでしょうか。当時は、固定資産台帳の整備とか全然理解がなかったですね。研修はしていたのですが、固定資産台帳を作って入力していくという感覚がまったく理解はされてなかったでしょうね。
稲継 ありがとうございます。初年度でベースを作られて、翌年度もそれをバージョンアップされていくわけですね。その辺の経過みたいなものを、お話しいただけたらと思います。

田中 はい。こちらの資産台帳の担当課入力はおおむね2年をかけてやっております。しかし、2年経過した後も思うような結果は出ませんでした。そこで、各課の担当者を若い人に変えて、「もう1回やってくれ」と。「3ヶ月ほどでやってくれ」と伝えました。この3か月で完成にもっていきました。
どの自治体さんでもこれから整備されるところも多いかと思うのですけれども、3カ月から半年ぐらいあればできるのではないかと思います。年度を超えるとまたいろんなデータが変わったりしますので、そのあたりは多くの部署が協力して3カ月から半年ぐらいでやりきってしまう方がいいのではないかと思っています。
稲継 ***砥部町ホームページ→財政情報→財務諸表・連結財務諸表→平成25年度分財務諸表を見て***
http://www.town.tobe.ehime.jp/soshiki/2/zaimu25.html
バランスシートから始まって・・・。随分すごいページ数ですね。
田中 特会の説明まで含めています。
稲継 これはすごいな。普通の自治体だったら地方債と税収あたりから始まっている。その前の財務諸表の話、バランスシートの業務コストの話、キャッシュフローの話とか、普通はあまり市町村役場の会計というか、財政白書には出てこないですね。これはすごいですね。これはいつからですか。
田中 もう、割合早い段階から、やっていますね。徐々にいろんなことは変えていますけれども、割と早い段階からできるだけ説明は加えるようにしています。
稲継 資料編には、例えば公共資産としてはトータルでいくらとか、そういうことが一覧で分かるような。
田中 そうですね、土地、建物、物品を目的別そして老朽化比率も分かるようにしています。
稲継 これはしかし大変ですね。この担当の方もいらっしゃるのでしょうけども、これは田中さんが?
田中 そうですね。
稲継 ええ!そうなんですか?大変ですね、やる時間がない感じですね。
田中 幸い、近年は財政に施設別、事業別の財務諸表あたりは結構手伝ってくれる後輩が増えてきたのですけど、それまではほぼ1人。でも、その分通常業務をほかの職員がかなり担ってくれたので大変さとしては一緒ですね。ただ、見本がなく新しいものをつくる大変さはありました。
稲継 1人? モデルになるような国なり地方自治体などはなかった?
田中 そうですね。もう、なくって。
稲継 なかった?
田中 まったくなしで作りました。ですから、最初は悩む時間が多くて、ネットで何十、何百ぐらいの文献を読んだり、古い情報であれば図書館に行って調べたり、新しい情報がほしいときには本屋に行ったり、というのをずっと繰り返して、最初のころは時間がかかっていましたね。
砥部町役場で公会計の担当を実質一人で担当することになった田中さん。資料がほとんどない中でのスタートだったが、近隣自治体の協力も得て徐々に数字を整理していった。そして改訂モデルでの公会計をスタートするための様々な努力を進めていった。そして、さらに一歩進めて資産台帳の整備も進めていく。エンジニアではなく、プログラムソフトもほとんど知らない中で、徒手空拳でシステムを構築していった。(以下、次号)